南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)
南州翁遺聞は41ケ条からなります。
出来るだけ簡素にまとめましたが、41ケ条あるので、長文になります。
『南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)』は、薩摩藩の下級武士出身で、明治維新最大の功労者とされる西郷隆盛(1827~77年、号は南洲)の語録です。
人材登用や内政、外交について為政者の心構えなどを説いています。
『西郷南洲遺訓』・・・今こそ学び返すべきところが今の日本にはあると思います。
南州翁遺聞は41ケ条からなります。
シンプルに紹介します。
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第一ケ条
政府に入って、閣僚となり国政を司るのは天地自然の道を行なうものであるから、いささかでも、私利私欲を出してはならない。
だから、どんな事があっても心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実に実行出来る人に政権を執らせる事こそ天意である。
だから本当に賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲る程でなくてはならい。
従ってどんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人を官職に就ける事は良くない事の第一である。
官職というものはその人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には、俸給を多く与えて奨励するのが良いと南洲翁が申されるので、それでは尚書(中国の経典、書経)の中に「徳の高いものには官位を与え功績の多いものには褒賞を多くする」というのがありますが、この意味でしょうかと尋ねたところ南洲翁は大変に喜ばれて、まったくその通りだと答えられた。
第二ケ条
立派な政治家が多くの役人達を一つにまとめ、政権が一つの体制にまとまらなければ、たとえ立派な人を用い、発言出来る場を開いて多くの人の意見を取入れるにしても、どれを取り、どれを捨てるか、一定の方針が無く仕事が雑になり成功するはずがないであろう。
昨日出された命令が、今日またすぐに変更になるというような事も皆バラバラで一つにまとまる事がなく政治を行う方向が一つに決まっていないからである。
第三ケ条
政治の根本は国民の教育を高め充実して国の自衛の為に軍備を整理強化し食料の自給率、安定の為、農業を奨励するという三つである。
その他の色々の事業は皆この三つ政策を助ける為の手段である。
この三つの物の中で時の成り行きによってどれを先にし、どれを後にするかの順序はあろうが、この三つの政策を後回しにして他の政策を先にするというようなことがあっては決してならない。
第四ケ条
国民の上に立つ者は、いつも自分の心をつつしみ品行を正しくし偉そうな態度をしないで贅沢をつつしみ節約をする事に努め仕事に励んで一般国民の手本となり一般国民がその仕事ぶりや生活ぶりを気の毒に思う位にならなければ政令はスムーズに行われないものである。
ところが今、維新創業の初めというのに立派な家を建て立派な洋服を着てきれいな妾をかこい自分の財産を増やす事ばかりを考えるならば維新の本当の目的を全うすることは出来ないであろう。
今となって見ると戊辰(明治維新)の正義の戦いも、ひとえに私利私欲をこやす結果となり国に対し、また戦死者に対して面目ない事だと言って、しきりに涙を流された。
第五ケ条
ある時『何度も何度も辛い事や苦しい事にあった後、志というものは始めて固く定まるものである。
志を持った真の男子は玉となって砕けるとも、志をすてて瓦のようになって長生きすることを恥とせよ。
自分は我家に残しておくべき訓があるが、人はそれを知っているであろうか。
それは子孫の為に良い田を買わない、すなわち財産を残さないという事だ。』
という七言絶句の漢詩を示されて、もしこの言葉に違うような事があったら西郷は言う事と実行する事とが反対であると言って見限っても良いと言われた。
第六ケ条
人材を採用する時、良く出来る人(君子)と普通(小人)の人との区別を厳しくし過ぎると、かえって問題を引起すものである。
その理由は、この世が始まって以来、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の長所をとり入れ、これをそれぞれの職業に用い、その才能や技芸を十分発揮させる事が重要である。
『小人は才能と技芸があって使用するに便利であるから、ぜひ使用して仕事をさせなければならない。だからといって、これを上役にして重要な職務につかせると必ず国をひっくり返すような事になりかねないから決して上役に立ててはならないものである。』
と語られている。
第七ケ条
どんな大きい事でも小さい事でも、いつも正しい道をふみ、真心をつくし、一時の策略を用いてはならない。
人は多くの場合、難しい事に出会うと何か策略を使ってうまく事を運ぼうとするが策略した為にそのツケが生じて、その事は必ず失敗するものである。
正しい道を踏み行う事は目の前では回り道をしているようであるが先に行けばかえって成功は早いものである。
第八ケ条
広く諸外国の制度を取り入れ文明開化を押し進もうと思うならば、まず我が国の本体を良くわきまえ風俗教化を正しくして、そして後ゆっくりと諸外国の長所を取り入れるべきである。
そうではなく、ただみだりに諸外国の真似をして、これを見習うならば国体は弱体化して風俗教化は乱れ救いがたい状態になり、そしてついには外国に制せられる事になるであろう。
第九ケ条
忠孝(よく君、国に仕え、親を大事にする事)仁愛(他人に対して恵み、いつくしむ心)教化(良い方に教え導くこと)は政治の基本であり、未来永遠に、宇宙、全世界になくてはならない大事な道である。
道というものは天地自然の物であるから、たとえ西洋であっても同じで決して区別はないものである。
第十ケ条
人間の知恵を開発、即ち教育の根本目的は愛国の心、忠孝の心を持つことである。
国の為に尽し家のため働くという人としての道理が明らかで有るならば、すべての事業は進歩するであろう。
耳で聞いたり目で見たりする分野を開発しようとして電信を架け、鉄道を敷き、蒸気仕掛の機械を造って、人の目や耳を驚かすような事をするけれども、どういう訳で電信、鉄道が無くてはならないか、欠くことの出来ない物で有るかということに目を注がないで、みだりに外国の盛大なことをうらやみ利害、損得を議論しないで家の造り構えから子供のオモチャまで一々外国の真似をし身分不相応に贅沢をして財産を無駄使いするならば国の力は衰退し人の心は軽々しく流され結局日本は破綻するより他ないではないか。
第十一ケ条
文明というのは道義、道徳に基づいて事が広く行われることを称える言葉であって宮殿が大きく立派であったり身にまとう着物が綺麗あったり見かけが華やかであるいうことではない。
世の中の人の言うところを聞いていると何が文明なのか何が野蛮なのか少しも解らない。
自分はかつてある人と議論した事がある。
自分が西洋は野蛮だと言ったところ、その人はいや西洋は文明だと言い争う。
いや、いや、野蛮だと、たたみかけて言ったところ、なぜそれほどまでに野蛮だと申されるのかと強く言うので、もし西洋が本当に文明であったら開発途上の国に対しては、いつくしみ愛する心を基として、よくよく説明説得して文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく開発途上の国に対するほど、むごく残忍なことをして自分達の利益のみをはかるのは明らかに野蛮であると言ったところ、その人もさすがに口をつぼめて返答出来なかったと笑って話された。
第十二ケ条
西洋の刑法はもっぱら罪を再び繰り返さないようにする事を根本の精神として、むごい扱いを避けて人を善良に導く事を目的としており、だから獄中の罪人であっても緩やかに取り扱い教訓となる書籍を与え場合によっては親族や友人の面会も許すということである。
もともと昔の聖人が刑罰というものを設けられたのも忠孝、仁愛の心から孤独な人の身上をあわれみ、そういう人が罪に陥るのを深く心配されたが実際の場で今の西洋のように配慮が行き届いていたかどうかは書物には見あたらない。
西洋のこのような点は誠に文明だとつくづく感ずることである。
第十三ケ条
税金を少なくして国民生活を豊かにすることこそ国力を高めることになる。
だから国の事業が多く財政の不足で苦しむような事があっても決まった制度をしっかり守り政府や上層の人達が損をしても下層の人達を苦しめてはならない。
昔からの歴史をよく見るがよい。
道理の明らかに行われない世の中にあって財政の不足で苦しむときは必ずこざかしい考えの小役人を用いて、その場しのぎをする人を財政が良く分かる立派な役人と認め、そういう小役人は手段を選ばず無理やり国民から税金を取り立てるから人々は苦しみ堪えかねて税の不当な取りたてから逃れようと自然に嘘いつわりを言って、お互いに騙し合い役人と一般国民が敵対して終わりには国が分裂して崩壊するようになっているではないか。
第十四ケ条
会計出納は、すべての制度の基本であって、あらゆる事業はこれによって成り立ち秩序ある国家を創る上で最重要事であるから慎重にしなければならない。
その方法を申すならば収入の範囲内で支出を押えるという以外に手段はない。
総ての収入の範囲で事業を制限して会計の総責任者は一身をかけてこの制度を守り定められた予算を超えててはならない。
そうでなくして時勢にまかせ制限を緩かにして支出を優先して考えそれに合わせ収入を計算すれば結局国民から重税を徴収するほか方法はなくなるであろう。
もしそうなれば、たとえ事業は一時的に進むように見えても国力が疲弊して、ついには救い難い事になるであろう。
第十五ケ条
常備する軍隊の人数も、また会計予算の中で対処すべきで、決して無限に軍備を増やして、から威張りをしてはならない。
兵士の気力を奮い立たせて優れた軍隊を創りあげれば、たとえ兵隊の数は少くても外国との折衝にあたってあなどりを受けるような事は無いであろう。
第十六ケ条
道義を守り恥を知る心を失うようなことがあれば国家を維持することは決して出来ない。
西洋各国でも皆同じである。
上に立つ者が下の者に対して利益のみを争い求め正しい道を忘れるとき、下の者もまたこれに習うようになって、人の心は皆財欲にはしり卑しくケチな心が日に日に増し道義を守り恥を知る心を失って親子兄弟の間も財産を争い互いに敵視するのである。
このようになったら何をもって国を維持することが出来ようか。
徳川氏は将兵の勇猛な心を抑えて世の中を治めたが今は昔の戦国時代の武士よりもなお一層勇猛心を奮い起さなければ世界のあらゆる国々と対峙することは出来無いであろう。
第十七ケ条
正しい道を踏み国を賭けて倒れてもやるという精神が無いと外国との交際はこれを全うすることは出来ない。
外国の強大なことに萎縮し、ただ円満にことを納める事を主として自国の真意を曲げてまで外国の言うままに従う事は軽蔑を受け、親しい交わりをするつもりがかえって破れ、しまいには外国に制圧されるに至るであろう。
第十八ケ条
話が国の事に及んだとき、大変に嘆いて言われるには国が外国からはずかしめを受けるような事があったら、たとえ国が倒れようとも正しい道を踏んで道義を尽くすのは政府の努めである。
しかるに、ふだん金銭、穀物、財政のことを議論するのを聞いていると何という英雄豪傑かと思われるようであるが実際に血の出ることに臨むと頭を一カ所に集め、ただ目の前のきやすめだけを謀るばかりである。
戦の一字を恐れ政府の任務をおとすような事があったら商法支配所と言うようなもので政府ではないというべきである。
第十九ケ条
昔から主君と臣下が共に自分は完全だと思って政治を行った世にうまく治まった時代はない。
自分はまだ足りない処がある、と考える処から始めて下々の言うことも聞き入れるものである。
自分が完全だと思っているとき、人が自分の欠点を正すと、すぐ怒るから賢人や君子というような立派な人は、おごり高ぶっている者に対しては決して味方はしないものである。
第二十ケ条
どんなに制度や方法を論議しても、それを行なう人が立派な人でなければうまく行われないだろう。
立派な人あって始めて色々な方法は行われるものだから人こそ第一の宝であって、自分がそういう立派な人物になるよう心掛けるのが何より大事な事である。
第二十一ケ条
道というものは、天地自然の道理であるから学問の道は『敬天愛人』を目的とし自分を修めるには己れに克つという事を心がけねばならない。
己れに克つという事の真の目的は「意なし、必なし、固なし、我なし」我がままをしない。
無理押しをしない。
固執しない。
我を通さない。という事だ。
一般的に人は自分に克つ事によって成功し、自分本位に考える事によって失敗するものだ。
よく昔からの歴史上の人物をみるが良い。
事業を始める人がその事業の七、八割までは大抵良く出来るが残りの二、三割を終りまで成しとげる人の少いのは始めはよく自分を謹んで事を慎重にするから成功し有名にもなる。
ところが成功して有名になるに従っていつのまにか自分を愛する心がおこり畏れ慎むという精神がゆるんで、おごり高ぶる気分が多くなり、その成し得た仕事を見て何でも出来るという過信のもとに、まずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。
これらはすべて自分が招いた結果である。
だから常に自分にうち克って、人が見ていない時も、聞いていない時も、自分を慎み戒めることが大事な事だ。
第二十二ケ条
自分に克つと言う事は、その時、その場の、いわゆる場あたりに克とうとするから、なかなかうまくいかぬものである。
かねて精神を奮い起こして自分に克つ修行をしていなくてはいけない。
第二十三ケ条
学問を志す者はその規模、理想を大きくしなければならない。
しかし、ただその事のみに片寄ってしまうと身を修める事がおろそかになってゆくから常に自分にうち克って修養することが大事である。
規模、理想を大きくして自分にうち克つことに努めよ。
男子は人を自分の心の中に呑みこむ位の寛容が必要で人に呑まれてはだめであると思えよと言われて昔の人の詞を書いて与えられた。
その志を、おし広めようとする者にとって、もっとも憂えるべき事は自己の事をのみ図り、けちで低俗な生活に安んじ昔の人を手本となして自分からそうなろうと修業をしようとしないことだ。
第二十四ケ条
道というの天地自然のものであり人は之にのっとって生きるべきものであるから何よりもまず天を敬う事を目的とすべきである。
天は他人も自分も平等に愛し下さるから自分を愛する心をもって人を愛する事が大事である。
第二十五ケ条
人を相手にしないで天を相手にするようにせよ。
天を相手にして自分の誠をつくし人の非をとがめるような事をせず自分の真心の足らない事を反省せよ。
第二十六ケ条
自分を愛すること(自分さえよければ良い)というような心はもっとも善くない事である。
修業の出来ないのも事業の成功しないのも過ちを改める事の出来ないのも自分の功績を誇り驕りたかぶるのも皆自分を愛することから生ずることで決して自分だけを愛するようなことはしてはならない。
第二十七ケ条
過ちを改めるに自分から過ったとさえ思いついたら、それで良い。
その事をさっぱり捨てて、ただちに一歩前進するべし。
過ちを悔しく思って、あれこれと取りつくろおうと心配するのは、たとえば茶わんを割って、その欠けらを集めて合わせて見るのも同様で何の役にも立たぬ事である。
第二十八ケ条
道を行う事に身分の尊いとか卑しいとかの区別は無いものである。
要するに昔のことを言えば、古代中国の尭・舜(共に古代中国の帝王)は国王として国の政治を行っていたが、もともとその職業は教師であった。
孔子は魯の国を始め、どこの国にも政治家として用いられず何度も困難な苦しいめに遭い身分の低いままに一生を終えられたが三千人といわれるその子弟は皆その教えに従って道を行ったのである。
第二十九ケ条
正しい道を進もうとする者は、もともと困難な事に会うものだから、どんな苦しい場面に立っても、その事が成功するか失敗するかという事や自分が生きるか死ぬかというような事に少しもこだわってはならない。
事を行なうには上手下手があり物によっては良く出来る人、良く出来ない人もあるので自然と道を行うことに疑いをもって動揺する人もあろうが人は道を行わねばならぬものだから道を踏むという点では上手下手もなく出来ない人もない。
だから精一杯道を行い道を楽しみ、もし困難な事にあってこれを乗り切ろうと思うならば、いよいよ道を行い道を楽しむような境地にならなければならぬ。
自分は若い時代から困難という困難にあって来たので今はどんな事に出会っても心が動揺するような事は無いだろう。
それだけは実に幸だ。
第三十ケ条
命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬ、というような人は始末に困るものである。
このような始末に困る人でなければ困難を共にして、一緒に国家の大きな仕事を大成する事は出来ない。
しかしながら、このような人は一般の人の眼では見ぬく事が出来ない、と言われるので、それでは孟子(中国の聖人)の書に『人は天下の広々とした所におり、天下の正しい位置に立って、天下の正しい道を行うものだ。
もし、志を得て用いられたら一般国民と共にその道を行い、もし志を得ないで用いられないときは、独りで道を行えばよい。
そういう人はどんな富や身分もこれをおかす事は出来ないし、貧しく卑しい事もこれによって心が挫ける事はない。
また力をもって、これを屈服させようとしても決してそれは出来ない』
と言っておるのは今、仰せられたような人物の事ですかと尋ねたら、いかにもそのとおりで真に道を行う人でなければ、そのような精神は得難い事だと答えられた。
第三十一ケ条
正しい道を生きてゆく者は国中の人が寄って、たかって悪く言われるような事があっても決して不満を言わず、また、国中の人がこぞって褒めても決して自分に満足しないのは自分を深く信じているからである。
そのような人物になる方法は、韓文公(韓退之、唐の文章家)の伯夷の頌を守って餓死したことを褒め称えた文の一章をよく読んでしっかり身に付けるべきである。
第三十二ケ条
正しく道義を踏みおこなおうとする者は偉大な事業を尊ばないものである。
司馬温公(中国北宋の学者)は寝室の中で妻と密かに語ったことも他人に対して言えないような事は無いと言われた。
独りを慎むと言う事の真意は如何なるものであるかわかるでしょう。
人をあっと言わせるような事をして、その一時だけ良い気分になることを好むのは、まだまだ未熟な人のする事で十分反省すべきである。
第三十三ケ条
かねて道義を踏み行わない人は、ある事柄に出会うと、あわてふためき、なにをして良いか判らぬものである。
たとえば近所に火事があった場合かねて心構えの出来ている人は少しも動揺する事なく、これに対処することが出来る。
しかし、かねて心構えの出来ていない人は、ただ狼狽して、なにをして良いか判らず的確に対処する事が出来ない。
それと同じ事で、かねて道義を踏み行っている人でなければ、ある事柄に出会った時、立派な対策はできない。
私が先年戦いに出たある日のこと、兵士に向かって自分達の防備が十分であるかどうか、ただ味方の目ばかりで見ないで敵の心になって一つ突いて見よ、それこそ第一の防備であると説いて聞かせたと言われた。
第三十四ケ条
策略(はかりごと)は普段は用いてはならない方が良い。
策略をもって行なった事は、その結果を見れば良くない事がはっきりしていて必ず判るものである。
ただ戦争の場合だけは策略が無ければいけない。
しかし、かねて策略をやっていると、いざ戦いという事になった時、上手な策略は決して出来るものではない。
諸葛孔明(古代中国の宰相)はかねて策略をしなかったから、いざという時、あのように思いもよらない策略を行うことが出来たのだ。自分はかつて東京を引揚げたとき、弟(従道)に向かって『自分はこれまで少しも、謀ごとを、やった事が無いので、ここを引揚げた後も跡は少しも濁ることはあるまい。それだけはよく見ておけ』と言っておいたという事である。
第三十五ケ条
人をごまかして陰でこそこそと策略する者は、たとえその事が上手に出来あがろうとも物事をよく見抜く人がこれを見れば醜い事がすぐ分かる。
人に対しては常に公平で真心をもって接するのが良い。
公平でなければ英雄の心を掴む事は出来ないものだ。
第三十六ケ条
聖人賢者になろうとする気持ちがなく昔の人が行なった史実をみて自分にはとてもまねる事が出来ないと思うような気持ちであったら戦いに臨んで逃げるより、なお卑怯なことだ。
誠意をもって聖人賢者の書を読み、その一生をかけて培われた精神を心身に体験するような修業をしないで、ただこのような言葉を言われ、このような事業をされたという事を知るばかりでは何の役にも立たぬ。
私は今、人の言う事を聞くに何程もっともらしく論じようとも、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけの事であったら少しも感心しない。
本当にその行いの出来た人を見れば、実に立派だと感じるのである。
聖人賢者の書をただ上辺だけ読むのであったら、ちょうど他人の剣術を傍から見るのと同じで少しも自分の身に付かない。
自分の身に付かなければ、万一『刀を持って立ち会え』と言われた時、逃げるよりほかないであろう。
第三十七ケ条
未来永劫までも信じて心から従う事が出来るのは、ただ一つの真心だけである。
昔から父の仇を討った人は数えきれないほど大勢いるが、その中でひとり曽我兄弟だけが今の世に至るまで女子子供でも知らない人のないくらい有名なのは多くの人にぬきんでて真心が深いからである。
真心がなくて世の中の人から誉められるのは偶然の幸運に過ぎない。
真心が深いと、たとえその当時、知る人がなくても後の世に必ず心の友が出来るものである。
第三十八ケ条
世の中の人の言うチャンスとは多くはたまたま得た偶然の幸せの事を指している。
しかし本当のチャンスというのは道理を尽くして行い時の勢いをよく見きわめて動くという場合のことだ。
つね日頃、国や世の中のことを憂える真心がなくて、ただ時のはずみにのって成功した事業は決して長続きしないものである。
第三十九ケ条
今の人は才能や知識だけあれば、どんな事業でも思うままに出来ると思っているが才能に任せてする事は危なかしくて見てはおられないものだ。
しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われるものだ。
肥後の長岡先生(長岡監物、熊本藩家老、勤皇家)のような立派な人物は今は見る事が出来ないようになったといって嘆かれ昔の言葉を書いて与えられた。
『世の中のことは真心がない限り動かす事は出来ない。才能と識見がない限り治める事は出来ない。真心に撤するとその動きも速い。才識があまねく行渡っていると、その治めるところも広い。才識と真心と一緒になった時、すべての事は立派に出来あがるであろう』
第四十ケ条
南洲翁に従って犬を連れて兎を追い山や谷を歩いて一日中狩り暮らし田舎の宿で風呂に入って身も心も、きわめて爽快になったとき悠々として言われるには『君子の心はいつもこのように爽やかなものであろうと思う』と語られた。
第四十一ケ条
修行して心を正して君子の心身を備えても事にあたってその処理の出来ない人は、ちょうど木で作った人形と同じ事である。
たとえば数十人のお客が突然おしかけて来た場合、どんなに接待しようと思っても食器や道具の準備が出来ていなければ、ただおろおろと心配するだけで接待のしようもないであろう。
いつも道具の準備があれば、たとえ何人であろうとも数に応じて接待する事が出来るのである。
だから普段の準備が何よりも大事な事であると古語を書いて下さった。
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