天皇彌榮(すめらぎいやさか)
「天皇」と書いて「すめらぎ」と読みます。
それには理由があります。
今回は「すめらぎ」の意味についてお話しします。
🇯🇵「すめらぎ」の意味について
「天皇」と書いて「すめらぎ」と読みます。
それには理由があります。
「すめらぎ」の意味についてお話しします。
本来ならば「天皇」は「てんのう」と読むのが一般的で、また訓読みしても「すめらみこと」と読む場合が多いため、むしろ「すめらぎ」はあまり耳にしない人も多いと思います。
しかし「天皇弥栄」という形で使用する場合は「天皇」は「すめらみこと」ではなく「すめらぎ」と読むべきなのです。
まず「てんのう」は中国の音であるため、祝詞などでは大和言葉を用い、訓読みすべきです。
しかし、それでも「すめらみこと」「すめろき」「すめらぎ」など、読み方は複数あり、しかも読み方によって意味が異なります。
🇯🇵「すめらみこと」と読むと特定の天皇、もしくは今上天皇を指すのに対し、「すめろき」と「すめらぎ」は皇祖もしくは皇祖から続く皇統を意味し古より続く皇統の連続性を含んだ文脈で用いられます。
例えば「すめらみこと」の用例を調べると、いずれも特定の天皇か今上天皇を指す場合に限られますが「すめろき」は八世紀後半に編纂された万葉集の福麻呂(さきまろ)歌集に「日本国(やまとのくに)は皇祖(すめろき)の神の御代より敷きませる国にし有れば」とあり、また同じ万葉集の大伴家持(おおとものやかもち)の歌に「ひさかたの天(あま)の戸開き高千穂の嶽に天降(あも)し須売呂伎(すめろき)の神の御代より」と見える他、「すめらぎ」は十九世紀の良寛歌に「すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし」と、特定の天皇ではなく、連綿と続く皇統を指す言葉として用いられています。
🇯🇵日本人が最後に護るべきもの
三島由紀夫は生前、日本人が最後に護るべきものは、天皇ではなく、敢えて三種の神器であると言っていました。
「すめらみこと」と「すめらぎ」の意味の違いを考えると、この言葉の重みを改めて噛みしめることができます。
もし天皇の玉体と三種の神器が同時に危機に瀕し、いずれか一方しか護れない場合は玉体ではなく三種の神器を護らなくてはならないという意味です。三島由紀夫の言う三種の神器とは、すなわち皇統を意味します。
皇統さえ守れば天皇は継承されるが玉体を守るために皇統を破壊してしまったら元も子もないという発想だと思います。ただし、玉体と神器が同時に危機に瀕するとは極端な譬えです。
「すめらぎ」を護り伝えることに、誰よりも真剣に努力あそばすのが「すめらみこと」であり、我々国民は、「すめらみこと」を護ることにより「すめらぎ」を護ってきたのです。
🇯🇵「すめらぎ」無くして日本は無し
日本という国家が存在していることによって、我々日本国民が如何程の恩恵を受けているか、その程度は計り知れません。
天皇を仰ぐ我が国の形が他のどの国の形よりも優れているに違いなく、ゆえに一つの王朝が二千六百八十四年も続いてきたのです。
日本を滅亡させようと思っても、簡単にできはしません。
核兵器が撃ち込まれようが原発が事故を起こそうが霞が関が火の海になろうが日本は滅亡しません。
ところが「すめらぎ」がなくなったら、それだけで日本は終わります。
すなわち、「すめらぎ」が安泰であれば我が国は安泰なのです。
だから日本人が最後に護るべきは皇祖から連綿と続く「すめらぎ」なのです。
日本の皇室が二千年以上続いたのは偶然ではありません。
それは必然であり、それなりの理由があってのことです。
日本は神の国です。
「千代に八千代に」と歌われる「すめらぎ」は、我々が努力を怠らない限り必ずや神風によって護られ、未来永劫継承されるでしょう。
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